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bum  第1章 haru ..1


 分からないものが一つ増えたとする。忘れていることに意識が気づいた時、人はどういう風な気持ちになるだろうか。記憶のない頭は何を見つめるのか、如何にして忘れているという事実に気づくのか?

 忘れていることに気がつけるなら、それは少し覚えているみたいじゃないか?

 完全に思い出せないにしても、忘れてしまった真実を振り返り、道筋を尋ねることが可能ならば、ある程度のところまで僕らは引き返せるのかもしれない。じゃあ、これは忘れていないということに気がついた状態ってことになるの?

 もっと違った形の、もっと本格的な忘却に立ち会ってしまった場合はどうなると思う?


 ある春の日に目を覚ました。森の中に倒れていた。傍らにリュックサックが転がっている。一瞬自分自身を俯瞰しているような気になって、徐々に一人称に近づいた。そして、僕は記憶のない状態を発見した。

 何も覚えていない、何かを思い出そうとして振り返った時に見えるのは果てしなく、何もない平面だ。僕にできることといえば、そこに何かがあったはずだという常識的な推測だけだ。脳の空白の部分に僕は立っていて、地平線に空の境界が滲んで見えている、その向こうに何か別の景色があるのかもしれない。過去を取り戻したいという気持ちと、過去がなくなった理由を思い出そうとする足掻きが、脳を掻き乱す、何を忘れた?何を失った?

 急に風が吹く、肌は感じている、僕は生きている。枯葉が吹き上がる、春の葉、緑の世界だ。だが、後に残るべき軌跡だって風によって吹き消されるんだろう?

 ああ、感じているよ、立ち上がればいいんだろう?僕が感じていることは、むしろ何かを知り始めるのではないかっていう、そんな予感だ。僕は何かに押されている。このエピファニーは、僕の消えた記憶の名残りなのかもしれない。森を歩く、まっすぐに外の世界を目指す。「林内に立ち入るべからず」この立て札を僕は知っている。そうなんだ、見ればわかるんだ。ここは明治神宮の森だ。謂わば記憶はないが知識はあるって状況だ、全くの赤ん坊ってわけではない。見るとそれが何なのかは分かる、これもまた僕が記憶を持って生きていた名残だ。多分、僕が失ったのは思い出と称される部分だ、自らの経験と感情にまつわる物語の記憶をすっかり失ったんだ。

 休憩所に行きリュックサックの中身を確認すると、きちんと財布もある。ペンが五本とノートが一冊、何故だかわからないけれど、ノートを見ると安心する。そこにはきっと僕が、僕がいつか書いたであろう文字が並んでいる。新品のパスポートと飛行機のチケットが挟まっている。

 水を取り戻せ!

 そう書いてある。人が歩き回っている、季節外れだがソフトクリームを買う。鳥居を出ると人混みの流れに乗って原宿駅にたどり着き、駅で切符を買い、がらんとした昼間の列車に乗り込んで、窓の外を眺めながらソフトクリームを齧る。成田空港へ向かう、旅が始まった。

 ノートに挟まれた航空券は、タイ王国バンコクのドンムアン空港行きだ。窓から見える景色、春、桜、広い畑、寂れた町、窓に映る顔、僕の顔だ、パスポートの写真、僕の顔だ、知らない名前、僕の名前じゃない、君は誰だ? 成田空港、重力から大きな音を立てて浮かび上がった飛行機で遠くばかりを見ている、君は誰だ?


 窓の下に広がるのは無限の緑だ。そこにはなだらかな起伏が水を運び、川のほとりに集落を養っている。地を縫うように進む褐色の大河は、北方から続く山々にただ阻まれ曲がりくねったのか、それともこれらは自らの意志で突き進むのかもしれない?ヒマラヤを穿ち、国境の岩々を砕いて遥か4200キロ離れた南シナ海へ向かう水の心を見つめようとすると、航空機の高慢さが目立ち、人がバカらしくなる。この移動は何も時間、空間を上回っているのではないんだな。飛行機は距離を超越したような顔をして、現実を迂回しているだけにすぎない、窓の下を見れば分かるだろう、大地がそこにある。そう思うと、歩こう、歩かねばならないという意思が燃えるんだ。人であることは歩くことでもある、歩くということは人であることの一つだろう?

 鈍い金色の波をちらつかせる紺色の湾が見え始めた、川が大陸から海へ口を開いている。大地を海に送る場所だ。高度を低め、ヘイジーな大都会が見えてくると着陸に体勢を変えた飛行機は揺れた。心は動じない。

 人らしく生きるような顔をして、僕は再び地に足をつけた。かつて古い思い出の在った場所はもう荒廃しているか、しかしそこに、水が入るよう、新しい水辺に葦が生えるように、僕は歩き始めた。懐かしさのない、純粋な衝動が弾ける。一匹目の魚は餌を探ししばらく彷徨うだろう。

中国人の旅行客が、タイ人の香水が、空港のロビーをせわしなく動いている。国王の肖像画は堂々と僕に加護を、パスポートに一つ目の判が押された。僕はこの国を知らない、知っていたのかもしれない、でも今は、思い出も、思想も、愛も、何もない、人の多さか、気温か、僕は脳みそが熱を帯びているのを感じていた。この街も僕と同じようにヘイジーだ。ノートを開くと、ドンムアン空港の西にある停車場から東北部イサーンへ向かえと文字がある。

「空港脇の国鉄駅からイサーンに逃亡して、友達に会う、新しい人となって」