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サンシャワーシンドローム 11

太陽の

 授業帰り一人見上げていた。滑らかな燕たちの飛び回るのを見つめていた。春になると日本に来るあれとは違っていた。彼らは高いところを周り続けていた。鳥になれたら幸せなのだろうか、そんな馬鹿な話はない。ため息を吐くと一枚、ブーゲンビレアの偽花、紅色に濃くなったものが舞い、それを追いかけるために急いだ。その踊り落ちる色が地に叩きつけられるのを見たくないと一心で、はらりはらりと逃げるそれを――しかし彼女は僕の両手の指をかいくぐり、やっと捕まえたのは地面から二十センチも高くないところであった。手のひらを開いてそこに収まった偽花の鮮やかな紅に心を奪われた――やわらかくふくらみ、風に上下する彼女の紅色は目を離すとすぐにでも滑り落ちていきそうな、ひどく不安定な反射だった。灌木の類に付くカズラの仲間だが、近くにそれらしい植物はなく、彼女がどこから散り始めたのかと膝をついていたところから遥か見上げた。旧棟の三階まで届く大きなサイカチの木にカズラは賑やかに咲いていた。偽花が堂々と常夏の太陽に透けて揺れていた。あの高いところで揺れているのは不安ではなかろうか、と心細く思い手の中のブーゲンビレアに目を落とすと彼女は笑っていた。白い花びらを大切そうに抱きしめていた。あんなところからふわふわと落ちて来たか。ええ、とても怖かったわ、と彼女は言った。うちはあんなに吹きはしないからゆっくり休めばいい。そっと握ったまま寮に戻り、コップに入れると少し水を入れてやり湿らせた。彼女はほっとしたような顔で眠っていた。窓から短命の子供池を見つめていた。穏やかだが雨が降り出すのは目に見えていた、クラサとナマズは水曜なので映画に行っていた。学生は池に見向きもせず早足に去って行った。

 朝目を開けた時に窓から差し込む光は未だ薄ぼんやり青かった。控えめに扉を叩く音は耳に入っていたものの、僕はまだ自分が眠っているものと勘違いをしていたか、実際に眠っていたのか、その音が確かに鳴っているからには向こうに何者かがいると気づき、やっと立ち上がった時にはすっかり音は止んでいた。しかし止んだものの頭の中ではなり続いて仕方がないので、細く扉を開けた。ナマズは暗い廊下で不安そうな顔をして立っていた。釣りに行こうか、と彼は言った。僕は頷き、この前に市場で買った竿をとり、そのままの格好で寮を出た。貸し出しの自転車にまたがって彼の後をついて池へ向かった。魚を釣ることではなく、意味の極限まで排除された言葉のキャッチボールが主だった、水面は我々の目の前に開いており、餌に買った食パンは形だけ針先についていたが、同じだけ僕らの口に運ばれたし、池の濁った水にタダで食わしてやることも多かった。テロとカモメの話をしていた。カモメというのは僕がこの間日本人街の古本屋で買った精神異常のカモメの本で、テロはその日本人街から遠くない大きな交差点で起こった爆弾でのテロだった。テロが起こったのは僕が来て一週間も経っていない頃で、派手に爆発し少なくない人数が死んだ。連日ニュースで映った交差点には、翌日にはもう普段のように無数の車の赤や白のランプが点り、黄色い電灯に照らされ人々が歩き廻っていた、物悲しい夕暮れ時の風景の右下に容疑者の写真が映されていた。ナマズは言った。平和な街と思っていたのに、と。これが現実の世界だった、未だ距離の離れた現象だが、明らかに自分の住んでいる街に起こっている悲劇だった。古本屋へカモメの本を買いに行ったのは、テロ現場の様子を見に行ったついでの寄り道だった。ナマズはどうしてテロ現場へわざわざ行ったのか、と尋ねた。僕は人が悲劇を前にどのようにして潰れないで生活を続けているのかが気になったのだった。怖いとは思ったけれど、他人事には変わりない、その感覚がそろそろ嫌になっていた。自分が怪我するか、友人や家族が傷つかない限り、何も自分のことのように悲しめないのではないかと思うと、虚しかった。ナマズは顔を上げた、水面に落ちた糸はピクリとも動かない。悲しいとか怖いとかってないのか?――彼は言った。僕は首を振った。そんなぼんやりした感情で同情されても、むしろ鬱陶しいだけだろう。ナマズは黙っていた。ゆっくり水面に浮上し息を吸おうとしていたスネークヘッドは、しばらく僕ら二人、朝から晩までぼんやりしている日本人の二人を見つめた後、ゆっくり底の濁りに消えていった。

 地震の時は?とナマズは僕に尋ねた。僕は首を振った。細長い池の向こうに合歓木の並木があり、その等間隔に区切られた空色の朝を、原付の影がリズムのように渡った。音だけが残っていく――僕は地震の時は、まだ中学二年生だった四国の人なんでね、一つも揺れはしなかったですよ。地震そのものも、津波の景色も、僕自身のものではなくただの情報に過ぎなかった。地震が間接的に起こした影響も、僕の生活を変えるほどではなかった、全く。遠い国で戦争で人が死ぬのと同じで僕の悲しみにはなり得なかった。ナマズはなぜか笑った。そンなのは本当の悲しみじゃないでしょう?――僕がそう言うと、ナマズは逆に他人事でないことは何だと尋ねた。針にパンを付け直しながら、パンではないかもしれない、と僕は言った。もっとソーセージとか、ツナとかそういうのを食べたいんじゃないかな――そうかもしれないな。僕の中には確かに他人事ではない他人の悲しみがいくつか存在した、しかしそれを地震やテロに並べて語るのは場違いのように思えた。老衰で今年の春に死んだ曾祖母、高校二年生の夏に死んだ先生、あれらは悲しかった。自然とそれらは浮かぶのだ。この夏は高校の同級生が車にはねられて死んだ、卒業してからは一度も連絡を取っていない、その程度の関係で、今後も一生会うことはなかったのかもしれない。それでも僕の心に抜け落ちのようなものが生じた。顔、顔か?――彼はしきりに顔という言葉を繰り返した。顔、顔、当然死んだ人間たちの顔が敷き詰められた、未だに判っていない、判りたくもないがこれから目の当たりにしていくであろう死という現象の「管」的な感触が朝の無機質な風を通してぶんと嫌な音を立てた。死はイチロウにとって実感なのか。ああ、そうだ、でも死は実感でしかない、判るものでも知るものでもない、ただ押し付けられる感触だ。ナマズにしても同じことで孤独を感じている。だから、しょっちゅう日の出前からクローズドウォーターに糸を垂らしながら答えを待っているのだ。そして答えが釣れない。自転車に跨ると朝が吹き散らかる、ヘイズが出ていなければ空は青く、東から順番に大地に赤道を引いていく太陽と、まだ暖められ切っていない青のコントラストが、呼吸を余儀なくさせる――朝の人は遅く、朝の音は響いた。モーターサイクルタクシーの乗り場には緑や蛍光ピンク、オレンジなど所属する乗り場ごとに決まった色のベストを着た、老人や貧乏な若者が集まり始めゆっくり世間話を一滴ずつ重ねていた。最初の香が立てられた祠から一筋ずつ通りに精霊の香りが、ゆっくりそれは束になり橙色のルシディティーを天へ運んでいった。寮の前に出る朝食屋台を押して歩くおばあさんを追い越した。魚はやっと虫を食いに穴から這い出てくるだろう。