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イレギュラーウィンター 第2章 2話

第二章

電飾や人だかりの足元に落ちて光る鱗

 農業祭で学内は人で溢れていた。新作のトラクターや、珍しい品種の苗がテントの中に並んだ。そして何より、美味しい屋台が大量に出ていた。下宿は大通りを挟んで大学から百メートルは離れていたが、それでも喧騒がにわかにで届いていた。大食いだが細っそりしたタイ人の女学生たちがうちの前を通ってくのが、部屋の中からも聞こえるのだ、僕はベッドからその音を聴いていた。昨日の酒が嫌な残り方をしていて起き上がる気にはなれなかったが、これは病気のせいではない――ただの二日酔いだ。このようなエアコン氷河期にびっくり突入するのには慣れていたので、この間大量のスナックをコンビニで買い込んでいた。ベッドの下に手を伸ばして落花生の袋を見つけた僕は目を閉じたままばりばりやり始めた。すぐにベッドは殻だらけになった。そして電話を無視した。落花生は目を瞑ったままでも自由に剥くことができた、手の中でひとりでに割れていくよう錯覚された。全て食い終わってからようやく僕は携帯電話を確認した、それは大阪にいるアヤメからの電話でも、元カノのノッケーオからのでもなかった。かの北方の山村におる女である。僕はかけ直した。
「ねえ、変なくらい寒いような気がするのよ。冬が来る前って、つまり秋という季節ってこうじゃないのかって私は思うわけ。あなた秋や冬には詳しいでしょう」
「今どこにいるんだよ」
「前と同じ、あなたから遠く離れた、赤いケシがぽっ、ぽっぽ、とたくさん生えている北部の山奥」
「タイに冬なんか来ないんだぜ?雪だって前に降ったのは五十年前だ。今がピークだろう、寒いって言っても――」
「五十年前に雪が降ったその郡に今いるのよ。寒くって仕方ないのよ、雲はまだ動いているし、日に日に寒くなっていく、だからどうやって秋を過ごすのかを教えてほしいわ。私震えている」信じようとしない僕に対してゲッドが苛立っているのがわかった。かの女の性格を知っているため僕はようやく信じることにした。
「今、何度なの?」
「十三度よ、これって寒いでしょう?」
「信じるよ、秋だと思うなら、一枚多めに服を着るべきかもな。僕なら、たくさん考え事をする、もっと優しくなれたらなって願って、そして散歩と飯だよ、いっぱい歩いていっぱい食うんだな。すると冬が来ても負けずにいられる気がする、そんな感じだ」
「今、何か飲んでる?」とかの女に尋ねられ、僕は立ち上がった。そして、飲み物を買うためにコンビニへ向かった。そういえば喉が渇いていた。
「ミリンダブルーはチェンラーイでも売っている?あれにドラゴンフルーツを浮かべると最高なんだよ。常夏からちと外れた山奥だからドラゴンフルーツはないだろうな。でも代わりに何か合う果物はあるはずだろう?」ドラゴンフルーツは多分常夏の果物で、高地では作ってないし、当然屋台の果物売りが呑気にやってくるわけでもないはずだ。でも、あそこではイチゴを売っていたような気がする。
「ドラゴンミリンダは、前にも聞いた。一緒に住んでいたころ、ビールティー飲みながら飲み物の話をしたでしょ」
 ビール・ティーというのがは彼女が生み出した全く新しい飲み物――トワイニングの紅茶バッグをビール瓶に直接突っ込んで楽しむやつだった。鳥籠アパートに一緒に住んでいた二年前の雨季は、出かけずに薄暗い灰色のランプの光だけで毎晩のようにビール・ティーを飲んでいた。しかし、僕らは今やどちらも酒を飲まなくなっており――いや、僕の禁酒はもうすっかり止んでしまっているじゃないか。
「お前はトランの実家でマナティかジュゴンか何かが牛と一緒に泳いでいる湖を見ながら飲むとか言ってたっけ」
「それが飲んでないの、トランに里帰りしても思い出さないから試したことはないんだけど。そういえば、お酒を飲まなくなったら当然ビールティーも飲まなくなるじゃない?でも私何かをオレンジペコと混ぜて飲みたいわけね。トワイニングの缶は山奥にも持ってきているの。でも合うのがなくってよ、コーラは甘ったるくてダメでしょ?それに炭酸のジュースでお茶って出るかしらね」
「なあ、ビールだって炭酸だぜ?僕らはもう大人なんだし、紅茶は紅茶で飲めばいいじゃないか」僕はミリンダブルーを籠に入れながら言った。彼女は今でも新しい紅茶の飲み方を探している。ふざけてない、彼女は本気で悩んでいた、まだまだ平和で、彼女はまだ本当の意味では震えだしていない。
「いいえ、いろいろ試すつもり」
 僕はコンビニでカップ麺とソフトドリンクを大量に買い込み帰りながら、フルーツ屋台の前で立ち止まった。氷の中にグァバ、パイナップル、パパヤ、マンゴー、ドラゴンフルーツと、新鮮な果物が並んでいる。しばらく悩んだが、買わずに家へ帰ることにした。家へ帰り、ベッドに腰掛けたところでかの女は電話を切りたいようなそぶりを見せた。
「これ以上寒くなったら本当に耐えられないので、そうなったらまた連絡するね。だから、冬の服を持ってきて。あと、こっちにはミリンダブルーどころかコンビニだってないんだから、それも持ってきて。寒いってことは腐らないってことだし、ドラゴンフルーツもお願いね。じゃあまた寒くなったら」