水トカゲの続き、あれらはタイ語ではあらゆる誓い言葉としても使われる尊い単語「ヒア!」をその名に持ち、知る限りでは象の次に最も高貴な動物――僕たちの歩く全ての俗な水辺であれらはすいすいしている。ああ、孤独!
寮から長い道のりを行って、大学を出ると街灯は暗くなり細い路地には犬が欠伸をしており、その向こうの商店でビールを抱きしめるまでにはいくつもの祠を通り過ぎる。日本の田舎にある道祖神や地蔵と同じ具合でそこかしこにある祠はそれぞれが固有名詞的、多様な表情を掲げて居た。それらは歩いているうちにふと顔を出す、ナマズは供えられた太い香の薫りに顔を上げてすんと息を吸う。煙は細い路地に漂いどこへも行かず一帯を見つめていた。敷地の隅や、路地の折れるところで僕らは不意に気づかされるのだった。其処には我々と異なる文化の神々或いは精霊が座り込んでおり、それらが存在していること自体は理解できても畏怖や崇拝といった体感的な存在の把握は出来ない、僕らはその度によそ者であると気付かされた。祠は小さな仏教寺院に見える上に、その中には金塗りの小さな仏像があるようなことが多かったが、誰に聞いてもそれらは仏教とは一切関係のないものだった。彼らはそれらをピィと呼んだ。アニミズムの内にあるお化けと神様の中間にあるような概念で、またそれらはお化けとも神様とも違う性質を持っていた。そしてピィは何にでも宿った。
祠以外にも、その路地にはピィが多く棲んでいた――五色の布を巻かれた榕樹などの老木にはピィが宿っている。それらの足元にはシマウマや鶏の人形が並べられていた。そして祠と老木の両方に赤いファンタが供えられていた。丁寧に蓋を開けてストローまで刺されていた。ナマズはこの通りを歩く度に感慨深げに呟いた――あぁ、自分は今タイにいるんだな、知らない幽霊の匂いを嗅ぎながら犬の横を通り過ぎるのは良い、と。その体験は僕の中に新しい別の世界が形作られている予感をさせるものだった。幼少期に浸かっていないのだからこれからここに何年住んだところで、到底信仰が血肉になるのではないのだろう、だが明らかに僕らはここで空気を吸いながら彼らの存在を受け入れていた。
タイに来てからというもの、ずっと雨と水トカゲだけは僕の暇に付き合ってくれていた。だが十月になると雨の降る頻度はみるみるうちに減ってしまった。雨季が終ろうとしているのだと気づくと唐突に寂しさが襲った。洗濯は良く乾いたが、心には埃が積もっていく様だった。そして僕は十九歳になった――秋を感じずには、年を重ねた気にはならなかった、十八歳の夏が続いていくような気がした。乾いていくのだ――こうして実感もないままに十代が終っていく。ブーゲンビレアの花は枯れてしまった。どこへも行けぬなという気持ちで雨が降るのを待ちながら窓から外の景色を見つめていた、金魚も、僕とはもう口を聞かなかった。ある日気が付けば、毎日のように顔を曇らせ、どっと大粒の涙を流していた彼女はどこか遠くへ消えていた。僕だけが夏に取り残されていた。
でもね、ナマズさん、そこには再び会うことのないであろう無数の人間、僕がそこかしこですれ違った知らない人間、生きている大量の他人に対する後悔が含まれているんです、死には。僕を取り巻いている、去ってゆく人々の幻影、決して触れられないでいる彼ら、今頃死んでいるかもしれないのに、それすら判らない彼らへの後悔。――お前はどうしてここにいるんだ?とナマズは言った、僕は首を振る。ここで実感としてあるのは何なんだ?――距離です。文化は?――触れられません。魚は仲間だ。俺は?――ナマズさんは魚だ、人間の形をした泳げない魚です。俺、泳げるけど。
なら、空で息をしてはいけません。