例の石鹸で身体を洗って授業へ出た。僕はクラスの連中と昼を食べ、午後の授業でもそいつと二人で聞いていた。夕方全部終えて、水族館へ行こうとバスに乗り込んだが、どうも違うのに乗ったらしく学内でもよくわからないところを連れまわされていた。気付けば生徒は一人もおらず、運転手も降りて行った。また一人残されたなと思いながら、座ったまま運転手の行く先を見ていたが、彼は路肩に停めていた原付に跨ってどこかへ消えていった。良く晴れていた。森のすぐそばでシロスキハシコウが群れで木にとまって休んでいるのを眺めて居たが、ずっと走らないバスに座っているわけにも行かず立ち上がり、とりあえずは歩道に降りて場所もわからないが歩いた。どこにも人が居らず、まさかキャンパスを出ているのではないかと不安にもなった。その場所が辺鄙なのは、見える建物がどれも煤けているか朽ちていたからだった。普段大学を歩いている時に古い木造など見ることはなかった。しかしこの辺りにはそんなのがいくつもあった。やはり学内には違いないらしく建物には校章がついていた。その内の一つは打ち捨てられた寮舎であった。その裏に森へ続く道があったのでぼちぼち歩いていくと水路があり、水路を行くと小さな澄んだ池になった。倒木が顔を出しているような浅い池だった。巨大な菩提樹が池の反対に在り、その根の間から水が流れ出ていた。菩提樹は空を覆い隠すほど大きなものでニシキヘビでも居そうな雰囲気だった。汗もかいたので岸に腰をかけて制服のネクタイを外し、ワイシャツを脱いだ。肌着の首元に手を入れ、脱いだシャツで汗を拭いている――ふと声がするので見回すと後ろにアランが座っていた。ここはどの池だ、と尋ねると彼は水産学部よりも北で、大きな川から水が流れ込んでいると言った。彼曰く、学内の全ての池はカナルで繋がっていた。アランは水トカゲらしく大股で水の中へ入っていくと、首だけ突き出して僕の顔を見つめた。バスが途中で止まってしまったので迷っている、と言うと彼は舌を出して笑った。バスの運転手たちは夕食の時間になると勝手に休憩を始めるので当分は戻ってこないと彼は言った。
普段アランがうろついているのは南西の女子寮の傍にある池か、東の大池だった。それでどうしてこんなところまで来ているのかと尋ねたら、魚が一番美味いのがここの池なのだと彼は言った。ティラピアか?――彼は首を振った。最悪ティラピアだが俺は小さいナマズを食うのがいいなと彼は言った。そこら中の電線をリスが走っているが、リスを食うことはあるのか?と僕は尋ねた。彼は頷いた。友達はできたか?アランが一番の友達かもしれないな。――他はあれか?水族館にいる三匹か?まあ、そんなところだ。
相変わらずな僕を見て彼は舌打ちをした。あの菩提樹は偉い立派だな、ニシキヘビでも居りそうだ。アランは鼻を鳴らした。ニシキヘビを見たことはあるか?僕は頷いた。森林学部の傍の食堂で飯を食っていると、木の上にニシキヘビがおり、それを学生が長い竿で捕まえて遠くに逃がしに行ったのだった。あれらは愚鈍そうだろう?しかし思いの他賢いんだ、今度見たら話すと良い。彼はそんなことを言ったが、まさかニシキヘビなんか恐ろしくて話に行くことなどできない。それならトカゲはどうなんだ、水トカゲの唾には毒があるが?
そんな事は初めて聞いたし、人間が水トカゲの唾を触ることなんかないだろう。すると、彼はたくましい前足を上げ僕に爪を見せた――それは美しい曲線を描きながら鋭くなっていた。これも危なそうだろう。しかし、そんなもので何時人間をひっかくんだ。それならニシキヘビだってお前を噛んだり巻いたりするような暇はないさ。故郷は恋しいか?と水トカゲは僕に尋ねた。僕が首を振ると、彼は首を傾げながらそれならどこに居ても一緒だなと言う。ここがどこかはわかっているのか?ああ、ここはバンコク、天使の都だ。故郷は?故郷は日本だ。ここから何千キロも離れた場所だ。
魚を取るコツを知っているか?いいや、釣りをしたってダメだ、一匹も釣れない。何も出来ないんだな、と彼は言って、僕に背を向け泳ぎ出した。彼は太い尾を揺らし水面を切るように去った。彼が行ってしまうと座っているのもつまらないので池の周りを歩き、それから菩提樹の根本に来たので見上げた。が、ニシキヘビの姿はなかった。散歩道はそこで途切れていたが、菩提樹の足元から奥へ水路は続いていた。脇には草が茂っていたが、構わず歩いた。