表紙へ

サンシャワーシンドローム 9

アクリルの

 一番のバスを捕まえて、大学をぐるりと回っていると夕方の授業を終えた生徒らが乗り込んできて、気付けば座席は皆埋まっていた。四時を回ったばかりだった。荷物を持たず、足をだらんと投げ出しているのは僕くらいで、他は授業の資料を読むなり、ケータイ電話を睨むなりしてバスがファホンヨーティン通りに着くのを待っていた。やがて遠くに通りの車の往来が見え始め、人が多いなと思っているうちにバスは池を通り過ぎてしまい、慌てて下りたのは水族館の前であった。アレンとも約束をしていたわけではなかった、それで僕は水族館へ入ることにした。客を入れる気がほとんどないらしく柵は人ひとり分しか開いておらず、その隙間を入り込んで水族館の受付窓に立つが、焦げ茶色のガラスが下ろされている。中の様子は見えない――窓を軽く叩くと、職員が面倒そうに顔を出し、学生証を要求した。制服が着ていないときは確認をすることになっているのだろう、財布からカードとチケット代を出し彼女に寄越した。顔が見えるところまで窓は上げられていなかった――彼女はぞんざいにチケットをもぎり僕に渡した。すぐにぴしゃりと窓を元のように閉めてしまった。入ると職員はもう突っ伏して昼寝の続きを始めていた。老魚らは僕を覚えていた。ここでは天気が影響しないのだ、雨でも晴れでも開館時間内なら話に付き合ってくれる魚たちがいるのはよかった。黒々と威厳のある老魚、白銀で上品な老魚、少し赤みのかかった若い老魚、三匹はいつものように大水槽をぐるぐると回っており瞑想をしているように見えた。老魚というからには年寄りだろうが、それでも人間の僕と話すとすっかり目線を下げてくれる。黒の老魚はガラス壁に額を押し当て、サメのような形をした鋭い尾ひれと表情のない黒く大きな目で、晴れ間を嫌っている人間など普通ではない、と僕に言った。そして僕に外での景色のことを尋ねた。毎夕のように雨が降るのだ、そして街も人も洗ってしまう。得意げに言ったのに赤いのは僕を笑った。そんなことくらいは知っている、雨が降るとここだって揺れるんだ。揺れるというより震えると言った方がこの男には伝わるに違いないよ、と白銀の老魚が舞い降り僕を見つめた。赤いのには髭の名残がまだあった。僕は彼等に本当のことを教えた。雨に入れ込んでいるのだ、と。彼等は決して動揺はしなかった。そのままでも僕をつまらない人間のうちに考えている様だったが、その傾向は雨に対する思いを話すとさらに増したように思えた。大きな魚は、手に取るように、手に取るまでもなく知っているのだ。何もかもわかっているのは僕だけのことを考えているからではなく、僕が含まれているとわかっているからだ。寂しがってここへ入り込んだことも彼等はすっかり知っていた。そのことを笑いはしなかった――寧ろこの日は彼等もいくらか気の毒に思ったようだった、決して共感や同情をしているというのはあり得ないだろうが、それでも大きな口を開けて、手を伸ばせよ、手を伸ばせばあるかもしれないだろう、寄れよ去らないで、と口々に話したのだった。直に雨が降り出すだろうが、まだ日は在るのだから落ち着いてゆっくり水槽の中の魚や、青く光る廊下を歩けばよいだろう、そういうとまた元のように泳ぎ始めた。すると我々の間に突如として分厚いアクリルの壁が立ちはだかり、透明でも手に取るようには見えない、空気と水は屈折し、彼等のぐるぐる泳いで瞑想するところに届く声はないように思え、遠ざかった。