美しい冒険にドキドキしながら、彼女はシャワーで日光を洗い流した。昼間の記憶はどこにもいかない、新しい夜に浸されインクで塗られた様に存在感を増している。過去の重力を身体のうちに感じながら、堺市の古びたホステルにいた。
外の自動販売機でコーラを買って飲んだ。大阪の夜は決して気持ちがいいとは言えなかった。コーラを飲むと、ここにある小汚さも止んだような気になる。冷たい空気に彼女は集中した。ごみ箱に青い缶を押し込むようにして捨てると彼女はホステルに戻った。明日のことを考えなくてはならない。明日の侵入は、今日のものほど楽ではない。だが、ちゃんと下準備をしていけば難しくもない。焦らずに一郎の跡を探すのだ。ホステルのロビーには外国人のバックパッカーが多い。彼らは大声で雑談している。アルコールの匂いもした。アメコは嫌悪した。彼女は他人の幸せに愛嬌よくしている様な余裕がないのだ。ひとりの男がソファーから一緒にどうだと声をかけてきたが、彼女は顔も向けないで通り過ぎる。彼らが良い人か悪い人か、そんなことはどうでもよかった。他人のことなど考えていられないのだ。
彼女の頭には謎の断片だけが浮かんでいた。湖面の枯れ葉のようなものだ。どこから来たのか、どこまで行くのか、そんなことが全く分からない謎の断片がゆらゆらとしている。三石の煙突工場の奥で見た異人類の足跡と一郎の失踪が結びつかない。三年前、煙突工場へ出向いた後の夏に、一郎はアメコを連れ大仙古墳に侵入したことにも理由があるのか。それとも侵入はただ好奇心を満たすためだけのものだったのだろうか。考えるのはよしておくべきだ、水が枯葉をちゃんと海へ運んでくれる。
大仙古墳は世界遺産に登録される様な立派なお墓だ。あそこが世界遺産に認定されたのは一郎とアメコがそこに踏み入る少し前の話だ。当時彼女らは、世界一立派なお墓というのが滑稽で、真夏に侵入し、水浴をした。三年前には大した警備もなく、簡単に立ち入ることができた。いや、簡単にと言うと多少語弊があるかもしれないが、とにかく柵をよじ登って堀を泳ぐ度胸さえあれば誰でも侵入することができた。その頃は単にいくら立派でもお墓に入ろうとする様な物好きがいなかったのだ。
世界遺産になりしばらくすると古墳の外周の柵は、コンクリートの高い塀に変えられた。二メートルまで高く拡張されており、上部には一通り有刺鉄線も張られた。一部には監視カメラがある。ホステルを探す前にまず彼女は古墳の周りを一周車で回ってきた。障壁は前と比べて多少固くなったようだが、結局彼女がしなければならないことはよじ登って泳ぐだけである。カバンの中にはロープがあるはずだ。これだけあれば容易に塀を上ることができるし、有刺鉄線もすぐに切断できる。柵が塀に変わった分、一度飛び越えてしまえば誰にも見られることはない。未だに見掛け倒しの防壁には違いないのだ。侵入は難しいことではないと確認したものの、念のため彼女は日の出前に出向くことにした。三時間後に目を覚ましたら、またあの誰もいない不思議な空間に戻るのだと彼女は興奮した。高鳴る胸を押さえ彼女は目を瞑った。