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アポカリプスドリームス 13.

 どこかで道を間違ってしまって、小さな誤差が連続して今やどうしても元に帰れないところまで来てしまっている――再び走り始めた原付の後ろで僕が考えていたのはそういう感覚だった。

「本当の人生って何なんだろうな」

「私たちが偶然知り合って原付でものすごいスピードで川沿いを走り回っている今、私たちは本当の空気を吸っているじゃない」

 サラブリジャンクションを境に国鉄の線路が三方に分かれていくように――つまり並走しているようなのに気づけば百キロ以上隔てられているというわけで、こんなことは僕の人生にも起こっていた。今僕は外国に住んでいる――どうしてなのか?僕はどこかに本物の自分が生きているんじゃないかと時折信じることがある。つまり、オカルトか科学かどっちなのか知らないけれど、パラレルワールドという奴を信じているんだ。それが、もしあるんだったら、そこには全く別の可能性で構成された僕が生きているわけで――例えば、僕がもし高校生の時にあと一日でも多く勉強をしていたら、僅か三点だけ合格点を下回るというようなヘマを起こさなかっただろうし、第一志望の大学に合格していれば決してここにはきていなかった。誤差で人生が変わってしまっているわけだ。仮にこの国にくる運命が変わっていなかったとしても、僕は少なくとも複数の偶然を経てこの場所――今原付の後ろにちょこんと座って風を感じている。ひとつは大学のそばの酒場で話した老人と青年だ。もしナマズさんが彼女から電話を受けていなければ、僕は話し相手に困ることはなかっただろうし、青年に話しかけられてはいなかったはずだし、したらばあの老人にも再会していなかった。彼の出身がイサーンのメコン川沿いだと知らずここを旅の目的地に選んではいなかったはずだ。そして、もし駅に着いた後、安くないとわかっていながらあのホテルに入り受付にいた彼女に話しかけていなかったら、僕はもうバンコクに帰って中間試験の勉強をやっているはずだ。今原付を飛ばしている不思議と薄い色をした彼女との出会いは無数の偶然が重なった結果だ。彼女が休みの日に僕が朝食を取ろうとしていた食堂の前を通らなかったら、僕らは一度ホテルの受付で話した他人同士のままだった――二度と会わなかったはずだ。

 もし本当の場所に生きている僕がいるのなら、その人は同じだけ素敵な偶然の上に立っているのだろうか、僕と同じように古い記憶を突然遠い場所で思い起こし、嵐のような郷愁に吞まれているだろうか?僕は君に、ここで偶然にも君の存在を考えている僕が存在しているとを知ってほしいと強く思っている。君も僕と同じ風に感じているのだろうか?ちゃんと小さなものに愛らしさを感じながら生きているのだろうか?

「運命がそうさせたのなら、僕はその意味を知りたい」

「意味なんてないでしょう。だって私今考えてみてもわかんないもの」僕はミラー越しに彼女の表情を見つめた。彼女の顔は暮れかけている夕日に感じていた。

「わかんないのは当たり前だよ。そんなのが言葉に表せるようなものであってはたまらない、ただ意味があることだけは信じたい」

「それは逃げてるだけね、ないって言ってるようなものよ」

「いや。僕はきっと言葉を見つけるはずだ、きちんとした回答を君に見せてやらないことには、僕は納得をして背中を見せられない」

 何かが崩れている音が聞こえた――実際に鳴っている音ではない、ただ僕の中でその音は響いていた。

「僕は時々怖いって思うんだ――この現実が小さな偶然の重なりに過ぎなくて、ふっと揺れただけで崩れていってしまうんじゃないかって。でも君はこれもどれも全て本物で揺らがないと信じている。正直他の人が今、ここで生きていることを疑わずに息をしてるなんて僕は信じられないんだ。君は信じているんだろう、何もかもを――だったら、ここはどこなの?」

 時折トラックに追い越されて、僕の声はどこでもない場所の風の中に消えてしまう。

「どこでもないに決まっているでしょう?」

「待って、ねえ、僕らはどこへ向かっているの?もうお別れなのか?」

「どこでもない場所からどこかへ行くことはできないわ」

「今日はきっと夕日が何もかもを染めてしまう」

 多分僕らは来た道を帰っていたんだと思う。でも行きと違って、僕らはミラー越しに繋がっていた。僕らは時折、同じ細胞から生まれた歩兵のようにヘルメットをぶつけた。

 ミラーには彼女の顔、恨めしい切長の目と、白いというよりは薄い肌がぼんやり浮かんでる。僕と目を併せても表情は変わらなかった、彼女の喉は震えていた、酸素をもっと必要としているように見えた。僕は景色に集中できず、数秒おきにミラーの中にいる彼女を確認した――彼女の顔は必ずそこにあった。

 彼女はわからないフリをしてとぼけて、僕を不安にさせて楽しんでいるだけなのかもしれない。ある集落から再び農地に入り左目に夕日を睨みながら原付は細い道を縫った。彼女は飄々とやっているが、僕は薄々知っていた。本当の彼女はどこにあるんだろう、ということを考えると怖かった。彼女は本当の自分を隠している、そしてそれをいないことにしている――もしかすると、そうでもしていなければ苦しくて仕方がないのかもしれない。君にも、僕と同じように悩み、怒り、疑問ばかりを浮かべていた時代があったのだろうか?原付はごおごおと音を立て、暗いユーカリプタス林も風に音を立てた。彼女は黙ったままだった――僕らは今、何かから逃げているのかもしれない。そう思うと僕も話しかけられなかった、時折振り返ったが細い道が残っているだけで、誰も僕らを追ってなどいない、だが彼女は真剣に逃げ続けていた。その時、ユーカリプタスの植林が突然切れ、正面になだらかな陸稲の丘が現れた。道はそこで終わっていた。

 原付を止めると彼女はヘルメットを置き、地べたに座って僕を見上げた。僕は黙って彼女の両の目を見つめていた。ポケットから紙と葉っぱを出した彼女は手際よくそれを巻き、口に咥えた。彼女が目を瞑るのを僕は黙って見ていた。そして、透明の黄色いライターで火をつけ、深く息を吸った。手巻き煙草の先から小さな火花が落ち、

「行きましょう?」

 彼女は立ち上がった。大きな青い煙が広がった。