表紙へ

-CANDY- Candy Says 7章

(2019/09/02)

 ゆっくりと季節は秋へと変わって行った。古墳に行ってからは侵入をしばらく控えていた。というのも、侵入より花火に熱中していたからだ。僕らはバイト代のほとんどを使って、毎週のように花火大会へ行っていた。きっかけは七月の末に新潟まで行った時に見た長岡花火大会の広告だった。新潟と言っても僕らの用事は苗場にあったんだけれど、空き時間で僕らは長岡まで電車で赴いて駅で別れて各々歩き回っていた。

 その日、僕はほとんど散歩なんかをしていた。僕は川を見たいと言って出かけて行き、何時間も信濃川を眺めていた。アメちゃんは美術館に行きたいと言って県立近代美術館へ行っていた。連絡を取り合って、駅から近いそばやで落ち合った時、開口一番にアメちゃんは言った。

「花火大会、行きたいわ」

 街の至る所にその広告が貼ってあったのだ。せいろを待ちながら、彼女は長岡花火大会の日付を調べていた。こんなに暑い日なのに、出された緑茶は熱かった。僕もアメちゃんも汗を額に浮かべながら、蕎麦が来るのを待っていた。

「花火ってやっぱり凄いんですか?」と僕はお店のお婆さんに尋ねた。

「えぇ?」お婆さんは耳が遠いらしく、目をぱちくりさせながら、すでに綺麗な机を布巾で拭き続けている。

「花火大会あるんでしょ。ポスターいっぱい貼ってるじゃない?」

 アメちゃんの声は、僕のよりは幾分高いから聞こえやすかったらしい。彼女は斜め上をぼんやり眺めながら、東京なんかからもたくさん人がくる、という旨のことを話した。綺麗なのか、と聞いても花火は花火だとしか言わない。僕もアメちゃんも、田舎生まれだから大きな花火大会を見たことがなかったのだ。いくら花火は花火だと言われても、僕たちはあのポスターを見て、自分たちの知っている花火と同じとは思えなかった。

冷たいせいろを食べながら、僕らは一週間ここにとどまろうと決めた。苗場での用事が終わってから、僕らは長岡より少し西に行った海辺の街へいき、一週間宿をとった。翌週の花火大会まで新潟に滞在して、泳いだり、歩いたりしていた。長岡の花火大会がどれほど素晴らしかったかは、説明しづらいけれど、僕も彼女もその夏いくつも花火大会に行っていたことを考えていると、すっかり花火の虜になってしまったんだと思う。

 僕もアメちゃんも人混みは大嫌いだった。だから僕らの花火大会はいつも遠くない高台を探すことから始まった。金土日と毎週のように各地の花火大会に出かけていたが、関西だけでは飽き足らず、熱海にも行ったし、最後は遠く北の秋田まで出かけた。最後の花火を眺めながら、アメちゃんは僕に好きな季節を尋ねた。僕は秋だと言った。

「季節は生から死へと流れてるのよ。春は誕生よ、成長して夏になって、秋からは死のパート。老いていくのとも違う、何ていうのかな、時間の中に、死が蓄積されていく感じ。そして冬は死んでしまった世界なの」とアメちゃんは言った。

「死を含有している、か」

「うん。私は夏が終わるのが寂しくって仕方がないわ」

「でも、秋も悪くないよ。例えば弱りかけた季節は、夏よりも数段過ごしやすいしだな。紅葉も綺麗」

「まあ、イチロウ君がどの季節を愛そうが、文句言おうって気はないの。なんだか最近暗い気がして。ちなみに、私が一番好きな季節は梅雨。春と秋の間で美しい雫を垂らす季節は青春そのものよ」

 僕も梅雨は好きだ。嫌いな季節なんてない。時間は美しかった。僕は確かに、秋の魔術、とでもいうのか、あの人をそわそわさせて、危うくさせる様が好きなんだ。

 帰り道、初めてデートした日のことを話した。アメちゃんは僕のことを思ったよりつまらないやつだと思ったらしい。確かに、アメちゃんに出会う前の僕は、過去の記憶に押しつぶされそうになる人間でしかなかった。僕はくよくよするだけで、どこかへ行きたいと思いながらも、一歩も動かなかったのだ。美しい光が差すのを見たくなっても、僕はカーテンを開けなかった。だが、僕は今、カーテンを開けて光を見つめれば、外に出かけもする。

 アメちゃんは僕のことを贋作のアンドリュー・ワイエスのようだったと言った。今はどうなのかと聞いたら、彼女は首をひねって、わからないと言う。変わろうとして実行したのは、僕の心の中にあったものを見極めること、それだけだった。そうすることは、僕の悲しみや寂しさの感情に理由を見つけるのを助けてくれた。僕は暗くない人になれるような気がした。

「今の僕はどんな人間なんだろう、これから僕はどんな人になって行くんだろう」

「わかんないよ。いいじゃない、私、イチロウ君好きよ」

 こうやって二人で秋田まで花火を見にきたりするんだ。一年に十回も花火を見に行くことなんてなかなかないんじゃないかと思う。でも、花火が消えてしまった後に残った暗い空はあまりにも広い。きっと、僕が照らそうとした闇は思っていたよりも、大きかった。感じていた重さの実体を知った今、僕はとても怖い、生きて行くことが、大人になって行くことが、変わって行くことが、とてつもなく怖い。秋の気配を感じ、そして僕は自分の記憶の累積している山のようなものを背後に感じた。目を背けるようにアメちゃんの方を見た。いつか絶対に潰れてしまう日が来るとわかると、生きるのは怖くなる。