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-CANDY- Love Will Tear Us Apart 3章

(2019/06/02)

 世界で最も美しい国での最後の夜、まだ雨季が来ていないというのに大雨が降った。僕は三年間通ったバンコクの大学を卒業して、日本へ帰ることになった。彼女に会いに行く。

 明日からは毎日、この常夏の街を夢に見るかもしれない。もしそうでないのなら寂しい。ここでの日々は、僕のこれまでの人生で最も苦しいものだったけれど、最も美しいものでもあった。仮に、僕が自分の国で苦しんでいたなら、希望なんて持たずにすぐに死んでしまっていた。ありがとう。

 初めてこの街に来た日、やっぱり夜になって雨が降ったのを覚えている。独特な匂いが街を漂っていた。あの日僕は、この匂いが自分にとって外国を象徴するものになるんだろうなと思って感傷的になった。

 今となってははっきりあの匂いを思い出すこともできない。確かにあそこには匂いがあった。あの匂いはどこへいってしまったんだろう。もしかすると、ずっと匂っているのに、僕が長くここへ居続けたせいで慣れてしまったのかもしれない。もう、長いことあの匂いを嗅いだ覚えはない。もうこの街を去るのだから、もし次ここへ来たら、僕はあの匂いに再会できるかもしれない。また会おう。僕はこの国を世界で一番愛している。

 タクシーを拾い空港へ向かう。バックパックはガラクタで満タンだ。いらないものだけ残して、いるものはほとんど捨ててしまった。煙草の空き箱とか、コーラの空き缶とか、大量のライターとか、どこで買ったかもわからないビー玉、バスのチケット、そんなものがぱんぱんに入っている。どうしてなんだろう。僕はどうして、こうもごみばかり溜め込んでしまうんだろう。一番大切なものは捨てていないから良しとしよう。ノートは全部持ってきた。僕が色々、忘れたくないものを書いているノート。

 雨が降りしきるバンコクのヴィパワディ・ロードを黄色のタクシーは徐行する。渋滞。夜も遅いのに、赤いブレーキランプが祈りのように並んでいる。こんな夜中に道が混むのは珍しい。僕の知らないうちに、どこかで新しい道路工事が始まったのかもしれない。三年間のうちに僕の住んでいた近所の景色もかなり変わった。一号線の上には電車の高架ができて、歩道橋から空港の方の空を眺めることはできなくなった。もちろん、渋滞のブレーキランプを歩道橋から眺めることももうできない。

 赤いランプの群れは美しい。だから渋滞も嫌いじゃない。あいにく一号線以外でも渋滞は起こるし、あれほどいつも空いていたヴィパワディ・ロードまで渋滞しているんだから、見られる場所はいくらでもある。ヴィパワディ・ロードの上にも高架がある。こっちは高速道だ。このタクシーは高架が屋根になっているせいで、雨に当たらない。ただ、窓ガラスを余った水滴が滴るだけだ。高架の外は滝のようだけれど。雨粒に赤いブレーキランプが反射している。濡れた道路に、ヘッドランプが反射している。そろそろ、空港だ。いつかまた戻ってくるよ。