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ともに浮かべば肺、満ち! 5章

「プラシーワーは山の乙女に噛みつきました。緊張の心にその鼓動が焦りを与えたからです。本当の言葉を知らないで。身体を引き裂くように沈んでゆく。あなたの肉皮を加えられるにふさわしいものかしら。何もかも同じ人なのですよ。たとい、山であっても川であっても人では無いのですよ。偉大な方角を見てそれを私と思い喉を開くだけなのでは?」

 絵描きなのか、詩人なのか――うーん、全部。将来なるとしたら?全部、全部、全部。そんなのは良すぎてずるいな――あはは!と、かの女は笑った、いいでしょう、私ってこれきっとなりたいものがないんだわ、それからもう好きなもの自身なのに違いないわ。音楽は好きか?私なんだって好きよ、だって、なんでも暇なときは適当なところへ聴きに出かけるし、家でもギターはたまに練習する、それに私、歌も下手じゃないのね――彼女はすっかりセンヤイ麺を食べきっていた、でも俺がホイトーを食べ残しているから彼女は待ちがてら描いていた、あなたのことを描くのよ、と言ってなんの関係もないものを描いていた。スケッチブックに細いマジックで描いていく――ザーッと滑る音が気持ちがよかったので、俺はなるべくゆっくり食べるようにした。牡蠣の焼けて縮んだのをゆっくり噛んだり、味のしないぱさぱさの米をちょっとずつ含んで――ゲッドの左手をじっと見ていた。タイ人で左利きの女を見るは初めてだった――男はクラスにいた。ゲッドは横にほぼ同時に絵と詩文をぽつぽつ滴らせて、全体で一つの、一枚の出来上がりだった――食い終わるときに彼女は丁度書き終えそうで、俺はそれが出来るのをじっくり見ていた。彼女の筆跡はぎっちょの左右逆転バランス、喉元を舐めるような気味の良いやつで、いくらでも書いてくれ、俺の体中に書いてくれたって構わなかった。スケッチブックにあったのは、長い海辺砂浜から川面が空に向いて飛び出し、其処ら中にガラスが飛び散った、そこを各々に色んな人が危なっかしく走ったり歩いたりしている、ガラスは人の扉かそれらは向こうこっちを出入りし歩き回っている世界で、詩の内容は聞かなかった。これが俺か?と尋ねると、彼女は顔を傾け、眉を顰め俺をじっと見た。訝しむような顔に、俺はぞっとする自分を見つけ、互いに苦笑した。こんないいものじゃないだろう――さあ、私は思っただけよ。だって、人は変わるでしょう。彼女はスケッチブックを大きい手提げかばんに入れると、食器を持って立ち上がった。ついて行きながら、彼女の首と――括られた長い髪、その下で細く短い毛が少しだけ残って渦巻いている、ため息が出る。いっつもは家まで車か?――いいえ、車持ってるけど大体は、バスとかロットゥ、あなた車免許持ってる?ないけど、なんで。金曜日ね、出かけよう車で、いいよ運転はするから。どこへ行くんだ?――なに、あまり出かけたくない?――ううん、いいよ。食器を返すと俺とゲッドは宛てなく歩きだした。故郷のトランは南部でも一番にマイルドで海が綺麗なのだ、と歌った。それで、テロとかはないのか?ないわ、あっても平気なのよ、あなたって変よ、テロなんかあったってそこにみんな住んでるのよ。トランってムスリム県だろう?そうね、マラユ喋るよ。なんだよ、それ。タイ語じゃないの、マラユ語、マレー語と一緒みたいな言葉、私はダメだけどね。友達はみんな喋るのよ。仏教徒は少ないんだろう?――別に分かれて過ごしてるんじゃないから、私だっていっぱいいるのよ、ムスリマの友達。あなたもいるんじゃないの?いるな。今度行きましょうよ、楽しいところいっぱいあるから――寮舎の辺りをぐるぐる歩いて最後は大通りへ向かっていた。暗くなって人通りも少なくなったし、犬もいたせいで俺らは自然に賑やかになっていった。俺は彼女の詩を歌いながら歩いた、もちろん流暢なタイ語は話せないから自分で英語にしてしまって歌いまわった――初めのうち彼女は恥ずかしそうにしていたが、だんだんと俺がそのセンテンスを正確に訳し始めた頃には惚れ惚れするような顔で聞いていた。ただただ犬や暗いのが怖いせいで歌っていたが、ゲッドも乗って歌い始めて二人して上機嫌、途中で池に寄って水切りをした――彼女は水切りは下手でヤシの葉の残骸を投げ込んでいた。俺の故郷のことも彼女は聞いてきたが、その時ぱっと言葉がでてこないで、ただ工場だらけ、と腑抜けた一言で済ませてしまった――暗くて顔は見えなかったが不満だったのに違いない――彼女は途中でものを水に投げるのには飽きてしまったが、故郷についてまだまだ話し足らないらしく、俺が石を拾い回っている隣でしゃがんで話していた。ふぁゆーん、ふぁゆーんと言って、自分はそれが何かわからず、英語を聞いたが彼女は首を振る、ゲッドはそう英語が分かる人ではない。ろーまー、と言われてイルカと分かったが、何がろーまーと違うのかと聞くと、頭が丸いだの、手鰭脚鰭でぴょこぴょこジェスチャーをするばかりで判然としなかった。ふぁゆーんが何なのかは分からないまま、俺はそこら中の小石を全部池に放りこんでしまった。最後に二人で煙草を一本まわして、ンガムヲンワン通りにでたら、彼女もそのまま着いてきて、なんとなく、酒でも飲むか?と聞いたら、かの女は嬉しそうに頷いて、あなたの家に行くと言った。俺らはコンビニで数本のビールを買ってバスに乗りアパートの方へ行った。黒い鳥籠の影が見えてくると彼女はもう上機嫌で、俺らは腕なんかも絡めて――このアパートの周りでお化けが出ることは言っていなかったが、彼女はどうやら勘付いていた――きっと悪い幽霊じゃないわ、雑木林で幸せにしてるのね、おいで――彼女は上機嫌で、俺が鳥籠のカードキーを開けてやったあとしばらく扉を開けてお化けが来るのを待っていた。薄気味悪い光景だが、闇夜の街灯に彼女の口角あがった横顔が光っているのを見ていると、これぞ大河の砂の数ほどの優しさだと思え唸った。幽霊と三人で五階まで階段を上がり部屋に入った。どうしてかは分からないが俺ら二人は一緒だとどこからともなく高まった――時折吸い込む大麻の煙粒よりも素敵なことだった――彼女は部屋に入るなりベッドに転がった。汗っだくだろう、シャワー入れよ、ランニングウェアに着替えたんなら着替える前の服あるだろう――ゲッドはあうぅと変な声を出して起き上がり面倒臭そうに鞄から黒いTシャツとジーンズを出した――しばらくそれらを眺めて彼女は、嫌だわ、脱いだものもう一度着るのって、と落ち込んだようにいった。どうもいたたまれなくなって俺は仕方がないのでここにいる間だけ着るようにと同じような黒いTシャツと柔らかいズボンを渡してやった。下着も――言われてため息、自分のパンツを一つ渡してやると、その黒のボクサーを珍しそうに眺めて、こんなのは普通なのか――と阿呆の顔をして真面目に聞いた。首を振ってシャワーのドアを差した、彼女はしばらく困った顔で止まっていたが――やっと、勝手に適当なタオルを取ってシャワーに入っていった。お化けと二人きりで話すのも気まずかったので、オーロラ色で有名な闘魚ヴァイデマンを間において話すことになった。今日はゲッドだけじゃなくて、お化けも来たらしい――俺がそう言っても彼は今夜、黙ったままだった、時計回りで泳いだ。水槽の壁際の方へ寄って、ガラスをつついた。しばらく黙りこくって鰭の踊る様を見た――ゲッドの歌うのが水音の隙間から聞こえた――ヴァイデマンは左に回って、水面でぱくついた。俺は餌を落としてやった。彼は満足そうに三口ほど齧ると、勿体ぶって潜っていった。お化けのいる方を向いたが、壁が透けて見え、そこにイエローのペンキが飛び散っていた。欠伸をした、眠いわけじゃないはずで、だが空気が薄くなっているようで俺も魚みたいにぱくついてた。ゲッドはすぐにシャンプーの香りを――俺のシャンプーの香り、ぷんぷんさせながら出てきて、髪をほどいて自由にさせていた――それで俺はかなり幸せな気分になった。彼女は俺にもシャワーへ行くよう言った。何故、と聞くと彼女は、私が綺麗なのに汚いあなたが隣は嫌よ――それで仕方なくシャワーを浴びた。シャワーの栓を開ける前に彼女がドライヤーを勝手につける音が聞こえた――頼むから髪を括らないで、それだけ思いながら不安になって身体を洗った。シャワーを出すと飛沫で便座が水浸しになるタイプの風呂で、俺はいつもシャワーを浴びる時湯船に浸かる代わりに便座に腰掛け、熱湯を浴びながら煙草を吸うようにしていた。誰か曰く、シャワーってのは身体を洗う為というよりお湯を感じるためにあるんだって、その通りだろう。煙草一本吸いきると部屋はもくもくになってその中で最後に身体を流す。パンツを履いてシャワーを出たらゲッドがお化けと話していた――めちゃくちゃに貧乏ゆすりをしていて、胸の上でふふふふと髪が揺れている――今日はその髪括んないでくれよ――いいよ、どうして?、俺はベッドに倒れこんで携帯電話を眺めて居た――視界は雨で沁みついたコンクリの天井に囲まれていた――その隅に腰掛けていたゲッドはやがて、のけぞり大きな声で息を吐いた、と言ってもひゃーと息が漏れただけで大した音ではない――どうも彼女、お化けに笑かされているらしく、取り残された俺は取りあえず分かったふりをしていた。もう行くの?――そう言ってゲッドは俺の部屋の戸を開けて、階段の方を見ていた。それで戻って来て壁を撫でた――蛍光イエローのペンキが飛び散っている壁だ――この蛍光イエローは俺が一年くらい前に閃きを描こうとしたときに出来た代物で、退去までに削ってしまわないといけない――が、これでも結構見ていて落ち着くから今はこのままで良かった――ゲッドはそれが気に入ったらしかった。行っちゃったよ、どうしようね?彼女はもうビールの瓶を開けていた――俺は別に今は酒を飲みたい気分じゃないからミネラルウォーターを飲んでいた。彼女の足元には、ぼけた運動靴がひっくり返っていた、もう当分ゲッドは立ちそうもなかった――門限はいいのか?うん寝てく、いいのいいの、門限なんてクソ――ねえ、ゲッドのお父さんは鉄砲を持っているか?――うん。そうか、それは嫌だな。どうして、ねえ?――だって俺、あんたのおやじにぶち殺されるんじゃないの、そんなの最低だ。大丈夫、今日はグループワークの課題出す前日で私は忙しく図面やってることになってるから、お父さんだって文句は言えない、成績優秀なんで騙す言い訳だってたくさん、それにあの人、鉄砲なんか握ったことないわ、家にあるだけよ。ぷぅーとため息しながら彼女はビールをたくさん飲んだ――蛍光イエローのペンキが光ってゲッドは逆光になった、そんなわけはないゲッドは美しいブルー、しかし逆光、シルエットと煙草の煙にイエローと青が弾けて気持ちいい、オレンジにジッとしてる煙草の先っぽはゲッドのまんまるい目に映ってムードだ――彼女は鞄からティーバッグを出してビール瓶に突っこんだ、トワイニングのオレンジペコ――しゅわしゅわ音がする、リオビアーにはオレンジペコ、チャンにはプリンスオブウェールズ、シンビアーはアールグレイ。アサヒビアーには何を突っ込むの?と彼女は続けた。誰もティーバッグをビールにいれない――そんなことない、私はやってるから。君以外誰もしない。ねえ、私の髪の毛大好きなんだったら食べる?やめとくよ。どうしてよ?――俺は黙っていた、髪の毛を食うなんて気色が悪いだけだ。なんでかって、なくなっちゃうからでしょ?――彼女は、あはははは、と笑ったら、それじゃあ、ビールにティーバッグ入れて?わかった?と確かめた。彼女はベッドの上で胡坐をかいて俺のビール瓶を開けた――明日はね、楽しくないこといっぱいなのよ、だってつまらないんだから。ビールの口にティーバックが引っかかって飲みにくいけど、なんだか濾されて変な水が出てきて酔い始めた―ゲッドは煙草を吸う、ガンジャみたいに一気に吸うので見ていて気分が良かった、肺から酸素を空っぽにして、幸せに満ちたい人々。あんたって大学終わったら日本帰るの?そうだ、だって働かなきゃいけないだろう――きっしょいわ、そんなきしょい人嫌いだわ――じゃあ、働かないでいいよ。――この間ね、わたし湖に行ったんだ、そこってさ水牛、水牛がいっぱいいるんだ。何してるの。泳いで遊んでるんじゃないかな、すごい楽しかった。彼女は髪の毛を払い、首元の汗を拭う、そして俺のTシャツに擦り付けた――そして、俺の隣に来る、俺がもたれている壁を鼻まで近づけて、蛍光イエローが飛び散ってるのを撫でる、嗅ぐ――俺の好きなシャンプーの香りがぬるり広がった。ゲッドは首をぐるっと回して俺の顔を見た、じっと。鼻先に息がかかり――ただ、彼女は髪の毛を食べるなんか外道よ、と言った。俺は、明日って嫌だよなと呟いた――まだそんなことばかり考えていた。ねえ――、彼女の言葉は続かなった。うっとゲップを我慢している彼女の顔には少しだけ紅色の気配があった、そして、もっとビールを飲んだ。ねえ、上目遣いに彼女は俺を睨んだまま、ごろんとマットの上に倒れた、ベッドは小さく揺れた。重力でぺしゃんとなった胸は息をしていることを示していた――俺は彼女の隣に横になった――雨漏りの跡を数えながら、水平で飲み込むアルコールは水中の遊びだった。滲んで見えるのよ――ほら、水面は揺れているはずでしょう?そうだな、でもこうグレーなのはつまらないけどな。彼女は枕元のノートをぴょんと取ってぼんやり読み始めた、日本語で書いているのに?うん、読めないけど、うーん、あははは、彼女は笑って――それで何してるんだよ?だって私読めないんだもん、でもこれ好きよ、ウナギのタムブンに貧乏な百姓が大きなお金を投げるんでしょう?ビッグマネー、そうだ、そうだ、ウナギだよこれ。なんで?だってそうだろう?こんなのはね僕の、あれだ、とにかくめちゃくちゃに気持ちいいんだぜ、最高なんだ、みんなが騒いでお金投げてくるんだ、未来の話だよ、今は俺、一文無しさ、でも最高なんだ、だから投げるんだあいつら、馬鹿なんだよ。タムブンは馬鹿じゃないわ。でもウナギ獲りがウナギ売ってタムブンしたウナギをまた獲って、何度もタムブンするのは馬鹿じゃないの、そうだろう?お酒美味しいね、あたし、もうお家帰っていくのが嫌なのよ、だって気持ちわるいんだから。何がさ?――あんたのミミズみらんないでしょ家じゃ、馬鹿犬――まあこれは可愛いから良いんだけど――でも馬鹿なんだから、――まあいいの素敵よ、でも家に帰るのは馬鹿。私はねここ、好きよ。だって前来た時と違ってシーツも綺麗、クリーム色なんだから。これって汗と垢のクリーム色じゃないわよね?当たり前だろう、もともとクリーム色、ブランケットも血じゃない、最初から真っ赤。じゃあ素敵じゃない、こんな家、ないわ、でもイエローのペンキが飛び散った壁はグロイ、どっちか捨てて。寝具か壁か。壁捨ててどうするんだ、寒い。うききき、寒いわけないじゃない、馬鹿じゃないの!私お酒弱いんだから変な話しないで、馬鹿になっちゃうでしょ、寒いわけないのだって――ここは常夏だから――あついめっちゃあついくそあつい、それだけよ、今は乾季、美しいソンクランが来るのよ、ここは常夏、馬鹿ね?黄色に塗ればいいんじゃない、真っ黄色よ、飛び散ってるぐらいじゃダメ、全部全部塗ったくるの、それかシーツとブランケットにもペンキ垂らすの、ベッドをびちゃびちゃにしちゃうの、そしたらあんたもっと良くなると思うけど――彼女はベッドで膝立ちになって、あんた細いわね、カワサキ君、ほら、細い――俺の胸を手のひらでどんと押して、けらけらけら笑った。骨が折れるといけないからよしてくれ、それでも彼女はビールを煽った。一瞬黙って彼女は天井を見た、真ん中の電灯を見ていた――ここの電気明るくないのに青くもないのね、とぼそり、それから私やっと酔ってきはじめたからウィスキーなんかも飲んじゃうね、トランプは?――顎でしゃくったら彼女は本棚からトランプとラム瓶を取って来て――裸足で歩いて、ベッドの縁に埃と砂を擦り付けた。ここってチンチョこないの?くるよ、今にくるよ、だってあのすりガラスずっと見てたら影が歩いてくるんだから、世話ないさ、そらトッケーは来ないけどね。トッケーだったら落ちたら死ぬじゃない、怖いこと言わない!彼女はざっとトランプを混ぜて俺に一枚引かせた、数字と印を指さして、ふむふむ頷きラムをビールの瓶に注いだ。そのまま飲めばいいよ、コップはないんだから――彼女は一口にビール瓶に注いだラムを飲んで、それで俺にも飲むように言った。瓶から飲むと彼女はにんまり笑って、一枚引いた。これはやばいお月さまだ、と彼女は言った。二時頃までぐらぐら酒を飲みまくって部屋は煙だらけになった。お化けどこよ?と彼女は急に悲しそうに言い出して、俺はもう帰ったことを教えてやった、彼女ははぁと酒の匂いがする息を吐いた。なら、仕方ないか。クーラーで部屋は少し水っぽくなっており、煙草のがますます匂っていた、悪いことじゃない――彼女は寝ると言って赤いブランケットにくるまって、おいで――どこへ?――川の向こう。ベッドの隅に座って、彼女の方を振り返ると、ばらんと髪の毛がちょっと顔を覆っていた。彼女はキャッキャ言って、しばらくむにゃむにゃ、そしておやすみ、眠り始めた。空調はがなって俺はそれを見ていたが、ちょうど空が青っぽくひかり始めた時に眠った、電気を消すとかの女の首元の銀の鎖が沈んでいて、最後にゲッドの寝顔――青い朝に照られて一番まともな色になっていた。

 昼過ぎになって目を覚ましたが――冷房はまだ白い霧をまき散らしていた――ゲッドは冷めきっていて正直朝起きた時には死んでいるんじゃないかって怖かった、俺はそれで彼女の青い頬っぺたを人差し指で押していた――疲れた皮膚に白い跡が付いた。何かごそごそ言って彼女は目を開けて俺をみた、睫毛で悟った彼女――今度は服を着ていた、ゲッドはゆっくり起き上がってケータイを見た。時間にため息、学校はパー、お父さんには返事しない、充電が切れてることになっているから――彼女はまたごろんとした――あんたも学校今日は行かないでしょ?いくわけないでしょ。何曜日?――もちろんまだ火曜日。ぱたと起き上がって、ねえカワサキ君きのうのノートの中、何?書いてたでしょ何書いてたの?タムブンのウナギと馬鹿な仏教徒のことじゃない、昨日も言ったぜ?ゲッドは一所懸命天井を睨み、ぱかぱかと膝を叩きながら、思いだそうとしていた――俺が貸したグレーのスウェットは柔らかいので肉が弾ける音が聞こえていた、覚えてない!ねえ、亀の甲羅を四六時中齧ってたんだ。どこで?夢にきまっているじゃないの――キチガイが(イディオット)。やだ、そんなこと言わないのよ、はははは。あんたも夢は見たわけでしょ?――夢、いつも子供の竜の死体ばかりだ、そんな夢ばっかりだ。ゲッドはあーと口を開けて笑いながらベッドに転げた、そのうち明日じゃない?こまったわ。――彼女は楽しそうだったが嫌な火曜日だけを放り捨てても仕方ないことは知っていた。この家好きだわ、彼女は夕方になるまでベッドの上で転がり回っていた。

 夕方になるとやはりパンティップ電気街の一階でカオパッドを食って、今日は暇だったので俺たちはその辺を歩き回った。かの女は散歩が好きらしく、メモ帳を片手に歩く、なんたって首からメモ帳とペンを提げているのだから――スケッチをしたがる、このシャッターは中国っぽいだの、あの家の一階には魚が泳いでいるだの――何が?――ほら、こういうこと、といって緑のペンキでぺったり塗られた夜のシャッターに手を触れて、切子細工風の装飾を撫でる、それで以てこのフェンスも中国っぽいわ。中に痰壺もあるだろうな?――あんた中国いったことないでしょ?ないよ――私もよ、ンガムヲンワン通りの脇道は薄暗く、そこかしこにピィの祠があった――裏路地の屋台には決まって三十前後の若者、男女両方が五人ほどで溜まって食いさしの飯を脇にビールを飲んでいる、青いプラスチックの椅子にまたがって、大抵店主も一緒になって飲んでいる――俺らの行く末なのかもしれない、悪くない光景に見えたが子供の頃に想像していた大人からはかけ離れていた。真っ直ぐ突き当りの豪邸が空き家になっていて暇つぶしにそこへ入って缶ビールを飲んだ――空き家になって長いのか、庭はもう広い草原になっていた、彼女は首を振って、きっとお金持ちだったんだろうけど、と言った。門も立派で邸宅までは距離があった。こういう手放されたいい家は、ほとんどお化けのせいにするわ、みんなお化けが怖いのね。豪邸を囲んでいる高い塀をしばらくみて、売り手の電話番号らしい看板を写真に撮った。門の脇の小さい扉を開けると、さささと何かが逃げて行った。庭の草原は季節風にゆっくりと吹かれており、近づくと海に見えた――泳げばいいじゃない?――虫がいそうだから嫌だ。あら、魚と思えば楽しいでしょう、まあ虫どころじゃないわ、蛇がいるのよきっと。裏の雑木林に住んでいるお化けのことをしばらく話してゲッドはまた俺の部屋で眠った。