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サンシャワーシンドローム 5

太陽の

 失うという実感に潰されるように、太陽がどうしようもなく照っているのにどこにも行けないように、僕はわからないことばかり考えた。水トカゲ曰く、失うという感覚は得るという思い込みから生じる――その通りならば何かを得ることができる気がするのはたかが幻に過ぎないのだろうか――しかしこうして生じる疑問のひとつひとつが、確かに僕自身が何かを得る過程であるという風に思えるのだった。頭の中が渦巻くと僕は昇った、彼の言う通り僕が何も持っていたことがなかったのであれば、居心地の良い故郷からここへ来て、母も父もおらず、家もなく、放り出された状況で、ぬるま湯でしか自覚しえない取るに足らない不安を、全て捨て去った末にようやく手に入れた本当の軽さの中に僕はいる。そしてこの状況にてやっと最も取るに足らない悩みに出会ったのだ、自覚したら僕は自分自身を冷笑する、トカゲのように。

 放り出されたこの場所で、軽い心=躰でさっそうと、うとうと、寂しくなるのも素晴らしいことのように思えた。雲は泣く、雨の降り出しそうな気配なんてなかったのに。存分に空気を吸い、雨に洗(祝)われるのを待つばかりの時代だった。汗で肌ざわりの悪くなった制服の白シャツの、ボタンを一つずつ外しながら、寮舎へ向かった。

 エアコンがない小さな寮室のベッドに横になって本を読む、金魚鉢に餌を放る、同じ棟にいる偉ぶった年上の男が尋ねてくる、酒を覚える――何もタイでなくてはならないことはない。僕は他の大勢と同じ様にただ大人になろうとしていた。普通でないことと言えば、日ごとに僕と小さな魚との間の会話が増えていったことだろう。

 僕が帰ったのに気がつくと金魚は喜んだ――魔怪は中国品種で、少し妖艶すぎるような尾ひれを持っていた。その尾の形は立派な蝶の羽で、白に赤や黒の斑を背負っている所謂キャリコだった、また背びれの脇と側線の下に合わせて三枚、角度によっては虹色に光る銀のウロコを持っていた。彼は窓の外にある大きな短命の子供池を恋しがったが、僕はいつも彼に「君の故郷はそこではないし、君は死ぬまでに故郷に帰りはしないだろう、それにあの池にはテッポウウオやスネークヘッドがいて危ない、近々大きな水槽を買ってやるからそれで勘弁してくれ」と言い聞かせていた――彼が金魚鉢で不自由するくらい大きくなるようにはどうにも想像し難いが。